なんでもないと思いたい。

わたしのこと、日々思うこと。

いい飲み会と悪い飲み会

お酒は飲めないし、社交的と言うより社交的風に振る舞うことしかできないわたしにとって職場の飲み会は複雑な場だ。

断り続けるのも印象が悪いと考えてしまうし、かと言って毎回参加するのも精神的にも肉体的にもキツい。

今の職場のいいところは、どうしても開催したい人が先に日程を決めたあと、「どう?」とやんわりと出欠の確認を取る。どっちでもいいよ、という雰囲気を必ず残してくれる。気分の乗るときは参加するし、先に予定を入れている時や気分ではないときは気軽にお断りする。

思い出すのは、過去働いていた職場でのほぼ強制的な飲み会。部署移動やらチーム移動やら何かしらの理由をつけて毎月部署内で飲み会が行われていた。

「いつならいける?」と全ての人の予定を確認し、全員参加できる日程を決めて決行。断ることすらできなかった。そして毎回、店内喫煙可の料理の美味しくない店。

出てくる料理で腹は満たせず、気化したアルコールに頭痛がはじまり、充満するタバコの煙で吐き気を催す。始終笑顔でなんでもないように約2時間、振る舞うわたしは馬鹿で偉かった。

飲み会が嫌で退職したと言ってもいいくらい、それくらい毎月の飲み会が地獄だった。直接の上司はとてもいい人だったし、周りの人にもよくしてもらった。だけど、それを上回るほどの嫌悪感に毎日毎日襲われ、ストレスで咳が止まらなくなった。だから辞めた。会社そのものがどちらかというとウェーイな会社だったのだ。わたしには無理だ。

そういう人間だけでやっておけばいいものの、個人の感覚なんてお構いなしに巻き込んでいく。

今の職場に満足してるかというとそうでもないが、とにかく害はない。やりがいはまったくない会社だけど、給料いただく分きっちり働きます。

飲み会は参加します。5回に1回くらいは。

 

帰り道の本屋さん

仕事終わりの本屋さんはどうしてこうもわくわくするのか。学生のころから、帰り道での一番の楽しみは本屋さんでの寄り道だった。

ビジネス街の本屋のためか、入り口に入ってすぐのところに陳列されているのは、ビジネス本や自己啓発の本。これを読めば全て分かる的なやや胡散臭いニュアンスのタイトルを素通りし、まずは雑誌のコーナーへ。

好きなグループが表紙の雑誌があるかどうかをチェック。なければ旅行や情報誌のコーナーをぐるりと回る。海外旅行本のコーナーにいる人を羨ましい気持ちで眺め、どの国の本に手を伸ばすのかを待ってみるものの特に決まった国があるわけではなさそうだ。

わたしはまだ国外に行けるほどの余裕がないので国内をしっかり味わおうじゃないか。国内にだってたくさん魅力があるんだぞと主張したい気持ちを雑誌をめくる親指に力をこめる。今年は東北に二度行った。そしてまた行きたいという思いが常に頭の端っこにあって、目に入るのは東北の雑誌や本ばかり。ざっといくつかの本に目を通し記憶に留めるだけで、本は今日は買わない。もう少し計画を立てて、それに合った内容の本があれば買いにこよう。

そしてふらふらと資格のコーナーへ。いや、特に何かの勉強をといつ立派な志があるわけでもないが、毎回今年こそはと思うだけでこれといって取り掛かるわけでもない。やっぱり英語はしておきたい、と思い平置きされている単語帳をパラパラとめくって元に戻す。を何冊か繰り返し、今日はやめておこうと背中を向ける。

最後に向かうのは文房具のコーナー。もう来年の手帳が並んでいる。秋らしいオレンジの便箋の隣にはクリスマスのキラキラした便箋。どちらも欲しいが手紙を送る相手もいない。いつもついついレターセットを買ってしまって、箱に仕舞い込んでそのままになってしまう。本来の使い方をしてあげたいと思いつつ、文通相手を探す手段が本屋さんにあればいいのにと思ってしまう。わざわざ紙の本を買いに来る人はきっと適度にアナログな人だとわたしは勝手に思っていて、ひとつのコミュニティの場にというより、人と人を繋ぐ何かしらのなにか…、と適当なことを考えながら自動ドアをくぐる。

 

 

 

 

晴れの日はひとりがいい

気温も湿度も程よく、柔らかい日差しが心地いいと思える日が続く。せっかくのお天気だからどこかへ行きたい気持ちはあるものの、どうも体が動かない。

部屋の窓を全て開ける。アパートやらマンションやらの隙間から差し込む日差しがほんの少しリビングの床に光を与える。裸足になって体育座りをして足の甲を陽にあてる。ついでに手のひらを上にして足の横に並べてこちらも陽にあてる。

外に出れば全身しっかりと日差しを浴びることができるのはわかっているが、どうも出たいとまでは思えない。でも出たい気もある。

そういう時は外に出たいわけではなくて、何か目的があるわけでもなくて、ひとりになりたいというだけなのかもしれない。

休日の住宅地。比較的静かな場所だと思う。たまに聞こえてくるのは大型の車が通る時のゴトゴトという音と振動と、飛行機がはるか頭上を飛んでいる微かな音くらいだ。

ソファに横になって、ただなんとなくゆらゆらゆれるカーテンを視界にやる。つい最近新調したばかりのレースカーテンで、淡い緑が光を通してくれる。われながら、いい選択をしたと自画自賛する。それ以外変わり映えしない狭いリビングも、ひとりきりならまあ、いてもいいかなとも思う。

スマホを触るのにも飽きてひと眠り。たぶん、起きる頃には日も暮れて晩ご飯をどうしようかというめんどくさい悩みが発生する。それまでは何も考えず眠ってしまうのも、わたしのやるべきことだと言い聞かせる。

 

 

フリをしてやってるんだよ

職場では基本的に大人しくしていようと思っている。が、わたしのどうしようもない癖である顔色伺いが働きすぎるがために、相手に合わせてあれこれと気を回してしまう。

つかれる。感情の起伏なく淡々と仕事を進めたいし、本当はおしゃべりなんか付き合わずに一日を終えたいし、自分のことなんかいちいち話すのもしたくない。

顔色伺いは自分にとってストレスの要因になるものの、組織に所属する分にはどうもかなり有用性があるらしい。

自分で言うのもどうかと思うが、よく気がつく人間なのだ。だからそこそこ仕事ができてしまうのだ。気づくのが早いと仕事も早いのだ。相手に合わせて喋るためか、変な衝突も起こさないし、相手を苛立たせることも恐らくない。

言い方を変えれば、常に相手が、組織が、どういう性質なのかをわたしなりにかなり、相当しっかりじっくり噛み砕いて判断している。

あなたのその行動、見ていない、気づいていないふりをしていることもあるんですよ。こちらから言わないときっとあなたは何もしないのでしょうが、あなたを、私のためならやってもいいかな、と思わせるまでに導いているのですよ。要望を小出しに且つあなたの大変さわかってますよ風に話してあげてますけど、んなわけないだろう。

無能なんだよ。目の前のこともできないのか。

声には出さないが口元まで登ってくる暴言を、代わりの「すみません、お手数かけます」で被せる。

誰しもがそんな調子で組織に組み込まれているのか、なんて少し冷静になったときに考える。わたしだけじゃない。みんなそうね。なんて。

 

ソフトクリーム

仕事終わり、たまに立ち寄る決まったお店がいくつかある。

アイスが好きなのだけど、やっぱりいちばんソフトクリームが好きで、しっかり牛乳のソフトクリームを食べに寄り道する。

小さなお店なので、タイミングによっては満席のことがある。そんな時は周辺のお店をぐるっとまわってお店に戻る。

それでも空いていない。タイミングが悪すぎる。

お客さんの手元にあるソフトクリームの減り具合を横目で見つつ、そろそろひと席空くかと思いきや、奥の手に隠れてティーカップがある。この人は食べてすぐに退いてくれる人ではない。

その隣はどうだ。ソフトクリームひとつ。にもかかわらずスマホの画面に夢中で食べ進める様子がない。この客もダメだ。何をしにきているんだ。ソフトクリームをしっかり味わったらどうなんだ。

そのほかの客もどうも今回は動きが鈍そうだと判断した日は諦めて帰る。ソフトクリームに最初から用事はないみたいな顔で帰る。どんな顔をしたところで別に何も変わらないが、なんとなく悔しいのでほかのお店に用事があって買い物しに来たんです顔。

お店がなくなるわけでもないし、また次来ようと諦めてもどうしてもソフトクリームの味が欲しくて、スーパーでちょっとお高い牛乳を買ってしまう。家に帰るなり透明のグラスに入れて、ちびちびと口に含んでミルク感を味わう。

 

 

 

 

季節の変わり目

暑いと寒いの境目はどうも苦手で、きっとそんな人はわたしだけではないのだろうけど、喉やら鼻やらの調子が悪くなるのが辛い。それ以上に困るのは着る服がないこと。いや服はある。半袖も長袖も、カーディガンも。服はあるのだけど、ない、と毎度毎度季節の変わり目に服を収納しているボックスを開けてまるで空っぽだと絶望を感じるような気持ちになる。

この服は結局去年着なかったから処分しようかとか、もう好みじゃないとか、どうも手持ちのものをプラスに考えることができなくて、かといって服屋さんに行ったところで欲しいものもない、お金もできれば使いたくない。

となると結局あるものでなんとかしてしまうのだけど、なんとなく気に入らないと思うものを毎日身につけている自分をなんだか許せない。自分がないんだな、自分をもてないんだな、なんて自己啓発本に手を出してしまいそうになるほどにはたかが服のせいで不安定になる。

たかが身につけるだけのもの。誰もわたしが身につけているものを気にしちゃいない。そう考え始めるとだんだんどうでもいい気がしてきて、あるものでこの季節を結局乗り切ってしまうのだと思う。

どうしようどうしようと考えている間にどうせ冬になる。今日は暑いだとか涼しいだとか、昼と夜の寒暖差が大きいだとか、そんな数日をあっという間に過ぎて、ただ寒いだけの毎日がくる。

自分のコーディネート力を鍛える季節だということにして、Tシャツの上にいつも同じカーディガンを羽織るだけの格好でまた家を出る。

 

 

 

 

こんな町で生きていきたい

息ができない。もちろんきちんと呼吸はしているけれどなんとなく苦しい、そんな日々から解放される日を想像する。

駅を出て数十メートル歩くと神社がある。周辺には個人の商店がいくつも並んでいる。人の行き交いはそこそこ多いものの、不快な気分ではない。

ご近所さんではなんとなく挨拶をするようになった、週に数回顔を合わせる自分の家の周りを掃除するおばちゃん、大きなクマみたいにもこもこの犬と散歩するおじちゃん、子どもを自転車で保育園に送る斜め向いのパパさん、同じ時間の電車に乗るお向かいの同年代の女性。

なんて、顔見知りをなんとなく受け入れていくような、顔しか知らないけどぼんやりと親しみを感じるような、そんな人たちでできた町で生活がしたい。知らない人だけど同じ町に住む人、そんなぼんやりとした関係の中でしっかりと古くからある町。

車窓から見える川沿いの景色は灰色のビルではなくて緑がいい。視界を遮るほどの戸数の多いマンションではなくて、適度な距離を保ちながら建ついろんなタイプの家。風にのってきこえるガタンゴトンと、踏切の警報器の音。

ぜんぶ理想でしかないけど、いつかそんな町にうつりたい。前の町も悪くはなかったけど、この町の方がずっといいよ、なんて笑って話せるような時間がくればいい。