なんでもないと思いたい。

わたしのこと、日々思うこと。

この町では生きていけない

思い出すのは薄暗いアーケードの商店街と、神社の隅の石段に腰掛けて時間をやり過ごす自分。

どうしようもないとき、何かにすがりたいとき、必ず鳥居をくぐり境内で大きく息を吸った。自然豊かというほどではないので綺麗な空気がときかれるとうんとは言えないが、境内にある社殿から流れてくる木の香りが好きだった。

今はそれがどこにもない。それに代わる何かもない。

隙間なく並ぶ建物にどこへ行っても人。とても便利な町ではある。大きいスーパーがある。有名外食チェーン店がいくつもある。ヘアサロンも内科皮膚科なんかもいくつもある。住むにはじゅうぶんすぎるくらいなんでもある。

だけどわたしが欲しいのはなんでも、ではなくて、視界に誰もいない、大きく息の吸える、逃げ込めるような場所。

まるで他人事のように繰り返される毎日に自分の存在を疑うような気分だ。

かつてこの地は、何百年か遡ると何もない場所だったのだろうけど、そういうことでもなくて。

なんだかな、と空を見あげると建物に見切れた月がちらつく。月すら見えないのか。広いはずの空も思う存分眺めることができない。月くらい遮らないでよ。そのままの明るさを眺めたいのに。たかだか数回建のアパートの屋根を憎らしいと思う。いくつかの屋根をたどると自分の今の家。帰る場所なのに、どうしてこんなに憎たらしいのか。

 

 

ファンのモラルは何処

アイドルのファンになって数年、これまで縁のなかった場所に行く機会が増えた。

わたしはいわゆる箱推し、というやつで、グループのみんなが楽しく、安心してアイドルとして活動を続けてくれたらいいなと思っている。

けれども、いろんな場所で遭遇する自由すぎるファンに顔をしかめるばかりで複雑な思いを抱えている。

誰かを好きなことはいいことだ。ただ、好きだと示す方法にはルールやモラルは必要なのではないかと常々思う。

おまえら本当にファンだと言えるのか、そんなふうにぶつけてやりたくなる。

楽しかったはずの思い出も、無神経でモラル皆無の人間に踏み潰される。こんなことが、この先も繰り返されるのか。

イベントが終わり、一休みと入った食事処で隣に座る2人の私より若い女の子。

話しを聞いているととてもマナーのいいファンとは言えない発言ばかり。自分たちの行動はまるで正しく、周囲のファンがおかしいとても言いたげたな、いや、あからさまに言っている。

こんなコがどれくらいの割合で存在するのか。好きなものにコンテンツとして続いてもらうためには、ファンの存在ありきなのに。

わたしは正しいファンでありたい。そう改めてひっそり誓い、次のイベントのために日々徳を積もうと思う。

 

新幹線ってすごい

旅の手段として新幹線をよく利用するようになった。その度に同じことを思う。新幹線ってすごい。当たり前だけど、早い。その割に安くないか、と思う。

乗って数時間、地図で見る限り遠いはずの他に辿り着く。都会のビルの間をすり抜け、住宅街へ。気づけば連なる山が遠くにみえるようになり、トンネルへ潜る。

毎回行き先は違えど、目的地の駅のホームで頭上の駅名標を見上げて思う。もう着いた。

まるで子どもみたいな感想しか出てこないが、やっぱり新幹線は特別な乗り物なんだと思う。

在来線で電車を待っている時、街中で走り去る姿を見た時、必ず「あ、新幹線」と口に出してしまう。

その特別な乗り物に、一年に何度もなるようになって私は大人になったな、としみじみ思う。

 

 

 

 

 

怒りが原動力になる

やらなくちゃ、と思うだけでここまでやってきたのかもしれない。

やることはやる。それは当たり前で、それに加えて誰に何を言われるかわからないからその先を想定して用意をする。それも当たり前。できて当たり前。やって当たり前。

そんな感覚でここまでやってきた。

でもそれが、自分のためだったかと問われるとよくわからない。違っていたような気もする。

今回、初めて覚えた強烈な怒りが私を少しずつ推し進めている。なんとも言いようのない、怒り、虚しさ、悲しさ。

もしかしたらそれを埋めるとても合理的なものを見つけたかもしれない。

初めてのこの感覚と向き合うには少々体力が必要なようで、すぐに疲れてしまう。それでも、初めて自分のための湧き上がる何かを見定めようと思う。

 

変わるとは思えない

どこの組織も結局一緒だ、と思うしかなかった。

きっとそうではない組織もあるだろうが、そういった組織で活躍できるほどの能力がまだ足りないのだと、日々言い聞かせている。そして、不足を補うために、とにかく勉強しようと。

能力があると他者から認められ、それに応えようと過去の自分も今の自分も努力し働いている。

にも関わらず、能力も人間性も欠ける人物に主導権を握られ、組織の都合上どうすることもできずもどかしい思いを重ねている。

この組織ではこれ以上自分の能力を発揮したところで、何も変わらないだろう。時間を無駄にするだけ。

なら利用するしかない。この組織を踏み台に、次に行こう。そのための時間だ。

一年、二年、どれだけかかるかわからないが、早くしなければ。諦めてしまう自分に出会わないために早く。

大丈夫。やろう。できる。

自分を支えるのは自分だけ。甘いものとお気に入りのお茶を手元において、がんばってみよう。

おにくの日

肉が食べたい、と強烈に思う日が年に何度かある。

もちろん、日頃の食事のメインは肉か魚ではあるのだけど、牛肉をただ焼いただけのものが食べたい、という衝動というか枯渇した感覚に襲われるときがある。

つまりは焼肉が食べたいということなので、スーパーでちょっといいお肉を買って食べようか、焼肉屋さんへ行こうかと迷うことになる。

一人焼肉専門のお店があるようなので、はじめてそちらに行ってみることにした。

ひとりずつのスペースにシステム化されているために手際のいい店員さん達。品数は少ないものの、ただ肉が食べたいと思う人間にとってとてもいいお店だと感心した。

どのお客さんも小さな1人用のブースにすっぽりと収まっている。背中しか見えない。

ぽちぽちと画面を操作してお肉を用意してもらう。自分のお腹がどれだけ受け入れられるかわからないので少しずつ、少しずつ、注文する。

お腹がいっぱいになる前にやめないと。私の弱っちいお腹はすぐだめになる。

カルビ、ロース、ハラミ、ロース。白いご飯。

また来ようと片付けはじめ、最後にカルビを注文して食べる。和牛も食べて2000円くらいが自分にとってのベストらしい。

帰りにアイスでも買って帰ろうとスーパーに寄るも、満たされているためかそれほど甘いものを求める気持ちも大きくない。

たまにはお肉で満たされるのもいいものだと思う。

 

 

 

 

 

かえりたい

ふるさとへの愛着と言うべきか。

地元が好きなわけではなく、その地域というか、土地柄というか、人の雰囲気含めて、大きく広く存在しているそれらに、懐かしさや誇らしさ、そしていつまでも変わらずにいてほしいと願う気持ち。

今はその地を離れて生活しているが、いつかは必ずそこへと戻りたいと思っている。

そのなんとも言いようのない感覚を覚え始めたのは、その土地を離れてから。そこは私にとってあたりまえで、どこにでも存在しているものだと思っていた。

旅行としていろんな土地を訪れたことはあるものの、「よその土地」に居住するほどの経験はこれまでなかった。

今いるところはいわゆる転勤族ばかりと思われるエリア。アパートやマンションが圧倒的に多く、自分さえ良ければ、そんな空気感が漂っている。それは仕事で都心部に出ても同じで、息が詰まるような毎日。

私にとってはそうでも、きっと誰かにとってはここがふるさとで帰る場所なんだろう。

せっかくの一時の滞在地。

ここを拠点にどこへ行こうかた地図を見ている時間がとてもたのしい。

案外近場に風情のある場所があったり、少し列車で行くと温泉地もあるし、自然豊かな土地もある。知らないことの方が多い。それを知るきっかけが今なんだと思う。

与えられたこの時間をじょうずに使おう。

新しいことも、そうでないことも、受け入れよう。